『能動と受動』

 テレビや映画を見たり、サッカーや野球などのスポーツを観戦したりすることは現代娯楽の一つですが、どちらかというと受動的な行為です。確かにそれを見て感動することもあるでしょう。興奮することもあるでしょう。しかし、生身の身体で経験し、体感し、創造することからしか得られない能動的な充実感や達成感と比べるとやはり色褪せてしまうのではないでしょうか。映画であれば実際に演じたり、ストーリーを構成する喜び。スポーツであれば実践し、少しずつでも上達し何か目標を達成する充実感。このような経験は何にも代えることのできないかけがえのないものです。

 人生という船を他者に操られることなく自分で操縦することを望むなら、自ら羅針盤を持って舵を取らなければなりません。能動的であるということは自分の人生を創造する一つの重要な要素です。創造には困難を伴うのが常でありますが、当の本人は案外楽しんでいたりします。辛い道のりに見えるのは周囲の傍観者だけであったりします。受験も同じです。誰かにやらされている勉強は受動的であり、何も生み出すことはできません。ましてや志望校合格など夢のまた夢になってしまうでしょう。他の誰のためでなく自分のための勉強だからこそ能動的であり、創造を楽しみ、周囲には困難と思えるハードルを越えてゆくのです。

 この受験を通して、自分の力で合格するということは、映画鑑賞などでは味わうことのできない本物の感動を身を持って経験するということです。そんな経験をしているかどうかで人間的な魅力が大きく変わってくるのではないでしょうか。全ては自分の力となります。まだ見ぬ一回りも二回りも大きく深く成長した自分にワクワクしながら…